こんにちは、Carnegieです。
本は電子書籍 kindleで購入する割合が増えています、私。KindleとはAmazonが提供する電子書籍アプリや電子書籍のことを指します。
耳読(ミミドク)はものすごいいい
iPhoneでは音声化させることができるので、目からの情報が辛くなった時、えらく重宝しています。
耳読(ミミドク)です。
今日は、電子書籍に関するすこしポジティブなこと、あまりほかでは聞かない電子書籍kindleの私の気づきを聞いてください。
自宅の1階ではiMacで、2階ではiMacで、トイレやソファーではiPhoneで読んでいます。
外出先で座れる時ではmacbookで、立ったり移動しているときは、音声化して耳で本を読んでいます。
で、これを1カ月ほど続けて来てふと今日思った気づきがあります。
それは、本=この情報・知識 はセットじゃなくてもいいんじゃ?
紙の本だと、この本からはこれ!の知識が手に入ったという、本と知識 の塊で、体に吸収しますよね。
この本からはこれを教えてもらった!みたいなあの感謝感です。
電子書籍で得た知識や情報は脳には別のように取り込まれる
ですが、電子書籍での私のような読み方だと違って、情報・知識が得られた時に → どの本から?わかんなくなります。
電子書籍だと本の外見を見ることなしに、サクッと中に入っていきますから、本と知識が 1:1 の関係になりません。
特に私は、あれやこれやいろんな場所で、いろんな本を並行して読んでいますから、ますますわからなくなります。
でも、自分の枠組みで手に入ってる感じがするのです。
要は、電子書籍で得るほうが本ごとに頭を整理する必要がなくなって、自分枠ですぐさま使えるものに落ちてるような、ポジティブな意見です。
知識や情報がたくさんになり、体に取り込まれるとどこの本から得たものとかどうでもよくなる
私は読書は、得た知識を試して見て行動して、やっと生きてくるのだ、行動するぞ!という考えを持っていまして、
行動する読書 = read for action のリーディングファシリテーターでもあります。
なので、この本の知識を使って、これをやろうとか、することは大事ではなく、行動した後、自分の体のどこかに残すということを目指しているわけです。
体に残すということは、自分の思考の枠組みであったり、習慣の一部になったりすることですが、本で括られた状態を卒業して初めて達成されます。
たーくさんの本からの知識と自分の経験とをミックスして、自分の中に落とします。
だから、この本=この知識っていう形は、必須ではないような気がするんです。
もちろん、自分が読んだ本の現物をみることで、蘇る知識や雰囲気は好きです。
ですが、自分に酔いしれることと引き換えに、使えない知識になっているカも と思った次第です。
最後に
ということで、電子書籍kindleの良い点を見つけたという話でした。これから続けていって、また新しい発見やこれを否定する考えが浮かんだら報告しますねーーー。
皆さんの私の話に対するコメントもらえると嬉しいです。
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